丹後ちりめんは、経糸(たていと)に撚りのない生糸、緯糸(よこいと)に1メートルあたり3,000回前後の強い撚りをかけた生糸を交互に織り込み、生地にし、その後、精練することによって糸が収縮し、緯糸の撚りがもどり、生地全面に細かい凸凹状の「シボ」がでた織物のことをいいます。
ちりめんの代表的存在である「丹後ちりめん」は、このシボが最大の特徴です。ちりめんは、シボがあることにより、シワがよりにくく、しなやかな風合いに優れ、凸凹の乱反射によって染め上がりの色合いが、豊かな、しかも深みのある色を醸し出すことができます。
また「ちりめん」といえば、絹織物だけと思われがちですが、丹後では丹後ちりめんで培われた技法を活かし、ポリエステル、レーヨンなどの繊維で織ったちりめん織物も製織しています。
高級絹織物である「縮緬(ちりめん)」とは、「撚(よ)り」をかけない経糸と、強い「撚り」をかけて糊で固めた横糸(緯(ぬき))とを平織りし、「練(ね)り」と呼ばれる工程によって「撚り」を戻しシボ(皺)を生じさせる製法で織られた織物で、シボのもつ独特の柔らか味を特徴としています。
・しなやかでシワになりにくく優美
・シボが肌触り良く柔らかな感触
・染め付けが良いので美しい柄や
模様が多い
・強撚糸織物だから
耐久力があって丈夫
・染め直し可能だから
経済的でエコ
・絹、レーヨン、ポリエステル等
多様な素材
・しなやかな感触と、
しっとりとした風合い
丹後において、最初にちりめん生産が開始された場所は、峰山(みねやま)(京丹後市)と加悦谷(かやだに) (与謝郡(よさぐん))でありました。具体的には享保五年峰山の絹屋佐平次(きぬやさへいじ)が京都から技術を習得して持ち帰り、同七年に加悦町の手米屋小右衛門(てごめやこえもん)・後野(うしろの)村の木綿屋六右衛門(もめんやろくえもん)・三河内(みごち)村の山本屋佐兵衛(やまもとやさへえ)が、同様に京都から技術を導入しました。両者の間に二年の開きはありますが、ほぼ同時期といえるでしょう。
享保一三年、後野村が作成したと考え られます「縮緬発端之事」と表題のついた書付によりますと「当村に志賀(木綿屋)六右衛門という、絹織物業を営み京都へ商売に上るなどしていた者がいまし たが、この人が京都西陣の織屋につてがあり、上京の時しばしば西陣へ赴き、縮緬の技術をおよそ見習っていたところ、その折加悦町の(手米屋)小右衛門・三 河内村の(山本屋)佐兵衛の二人も京都西陣より縮緬織を導入しようと考えていたので、この三人が申し合わせて縮緬を始めました。」(算所区有『縮緬(ちり めん)機屋(はたや)記録帳』に収録)とあります。
縮みの欠点を、特殊な撚糸を工夫して織り上げてカバーしたちりめん。縮みにくくシワになりにくいのが特徴です。
古い歴史を持つちりめんで、シボが美しく、柔らかい風合いが楽しめます。
左撚り2本、右撚り2本を交互に織り込むため、一越ちりめんよりシボが高いのが特徴です。古代の白生地に似ていることからこの名前が付けられ、シボが大きいことから鬼シボちりめんともいいます。色無地などに使用されます。
綾織りの表と裏を使って紋を出したもので、重目は付下げ・訪問着など高級着に、軽目は襦袢地に使用されます。
よこ糸を二重にして地紋の変化と深みを出したちりめん。染め上がりに豊かな立体感があり、無地染めやぼかし染めに多く用いられています。
ちりめんの生地に金糸・銀糸・ウルシ糸・ラメ糸などの装飾糸を使って模様を縫い取った贅沢なちりめん。打掛や中振袖・訪問着などを中心に豪華さを演出します。
シャリッとした独自の風合いと光沢が特徴。地紋を生かした染め着物の生地としてファンに好まれています。
生地面の光沢が美しいちりめんで、華麗な中振袖や付下げなどに使われます。
紋意匠と五枚朱子の両方の持ち味を兼ね備えたちりめんです。
地風に厚みがあり、染め付きの良さが特徴です。
生糸100%で作られる、シースルー地の夏向きの織物です。
通気性に優れているため、夏でも心地よく着ることができます。
ちりめん地に金糸を織り込んだものです。染色性に優れたちりめんは、あらゆる色に染め上げられますが、金糸は染まらずそのままとして光沢を放ち、趣味性の豊かなきもの地として用いられています。銀糸を使った銀通しちりめんもあります。